昨日、ホルベインの透明水彩と油絵の具を買った。

絵を描きたかったわけじゃない。

なんだか懐かしくなってしまったんだ。

あの時君は安穏と私立の建築学科に進んだ僕を鼻で笑ったね。

デッサンも勉強もしないで、HB2本で試験をパスした僕を

アングラ好きの君はきっと馬鹿にして、

必死で勉強してデッサンしてさ、

国立の教育課程の美術専攻進んだりして、えらいよ君は。

僕にいろいろな音楽を教えてくれて、

怠惰に見える僕を卑下して、

だから君は必死に努力してたんだね。

白鳥みたいなやつだよ、君は。

そういうところ、君は僕に似てる、何て言うとすごく怒るんだ。

そんな君もいつしか好きだった音楽も制作も置きさって

一流企業に就職決めてしまった。

僕はと言えば

なんの努力もなしに人のことを馬鹿にしながら

有り余る才能をただひたすらに消費したり、

恋にうつつを抜かしてなんか居たりしたんだ。

君が僕のことを馬鹿にするのは全くそのとおりで、

君は大好きだった音楽も作ることもやめて

大きな歯車になることを選んだんだもの。

僕には出来ない偉業だよ。すごいよ。

君は僕の、

ものを作ることへのだらしない姿勢を馬鹿にしていたよね。

ああ、なんだろう、こいつパンクスだな、って憧れていたよ、

そういう君を。

君はいつしか自分と社会のことも見えなくなって、

君を生み出すことはしなくなっていて、

それでも僕は大学なんて糞だな

なんて言って学籍蹴ったり

親不孝したりなんかしながら

糞みたいな生き方しながら結局なんか、

未だにモノ作りなんか続けていてさ。

君と過ごした青春は

あの頃の僕の人生の何分の1を占めていたけど、

今はもう一瞬みたいなもんで、

君は僕にとって瞬く光でしかなくなっていたんだよ。

君は僕よりきっと努力家だったけど、

ただの社会人になってしまった。

あわよくば、適当な絵を描いたりして

『学生時代は美術関係に触れていて、

今もその心は忘れられないんです』

なんてファッション気取ったりしてるんだろう。

君があの頃僕にしたように、

僕は君を鼻で笑ったりなんかしないよ。

君にとってはそれが向きあう態度なんだろう。

僕が叫んでいるのは君にじゃない。

あの頃の君にだ。

僕を恨んで、僕を追い抜いて輝こうとしていた君にだ。

ホルベインの透明水彩と油絵の具を

初めてのバイト代で買った君へ。

昨日、ホルベインの透明水彩と油絵の具を買った。

絵を描きたかったわけじゃない。

なんだか懐かしくなってしまったんだ。

あの時君は安穏と私立の建築学科に進んだ僕を鼻で笑ったね。

デッサンも勉強もしないで、HB2本で試験をパスした僕を

アングラ好きの君はきっと馬鹿にして、

必死で勉強してデッサンしてさ、

国立の教育課程の美術専攻進んだりして、えらいよ君は。

僕にいろいろな音楽を教えてくれて、

怠惰に見える僕を卑下して、

だから君は必死に努力してたんだね。

白鳥みたいなやつだよ、君は。

そういうところ、君は僕に似てる、何て言うとすごく怒るんだ。

そんな君もいつしか好きだった音楽も制作も置きさって

一流企業に就職決めてしまった。

僕はと言えば

なんの努力もなしに人のことを馬鹿にしながら

有り余る才能をただひたすらに消費したり、

恋にうつつを抜かしてなんか居たりしたんだ。

君が僕のことを馬鹿にするのは全くそのとおりで、

君は大好きだった音楽も作ることもやめて

大きな歯車になることを選んだんだもの。

僕には出来ない偉業だよ。すごいよ。

君は僕の、

ものを作ることへのだらしない姿勢を馬鹿にしていたよね。

ああ、なんだろう、こいつパンクスだな、って憧れていたよ、

そういう君を。

君はいつしか自分と社会のことも見えなくなって、

君を生み出すことはしなくなっていて、

それでも僕は大学なんて糞だな

なんて言って学籍蹴ったり

親不孝したりなんかしながら

糞みたいな生き方しながら結局なんか、

未だにモノ作りなんか続けていてさ。

君と過ごした青春は

あの頃の僕の人生の何分の1を占めていたけど、

今はもう一瞬みたいなもんで、

君は僕にとって瞬く光でしかなくなっていたんだよ。

君は僕よりきっと努力家だったけど、

ただの社会人になってしまった。

あわよくば、適当な絵を描いたりして

『学生時代は美術関係に触れていて、

今もその心は忘れられないんです』

なんてファッション気取ったりしてるんだろう。

君があの頃僕にしたように、

僕は君を鼻で笑ったりなんかしないよ。

君にとってはそれが向きあう態度なんだろう。

僕が叫んでいるのは君にじゃない。

あの頃の君にだ。

僕を恨んで、僕を追い抜いて輝こうとしていた君にだ。

ホルベインの透明水彩と油絵の具を

初めてのバイト代で買った君へ。

掘り返して暴きだして、

ほんのつまらないものばかりのゴミの山を目の前にしなければ

捨てることもなかった決心ばかりで、

昔描いた夢の山が、

ゴミ山に無造作に転がっていた。

今の僕は酷く曖昧で。

ああそうか肩書きっていうのはアイデンティティだね、

と自分が自分であることにだけ

誇りを持っていた僕にあるまじき答えを見出した夜なのです。

僕は僕の描く絵も、作り出す立体物も、

紡ぎ出す言葉も、自分自身の姿形も、

何もかもが好きでしょうが無い。

だから女の子に現を抜かす暇なんて無いのだよ。

とか言う僕に対して

口角をあげたいやらしい顔で

反論否定説教垂れてるふりをする君。

君のその安っぽい正義感は糞の役にも立たないんだよ。

僕が保証してあげます。

僕の保証なんてなんの確約があるんだ?なんて思うだろ?

君がそう感じるように、

君の正義感も僕や皆にとって糞の役にも立ちゃあしないんだよ。

だから、そうやって悪戯に正義感を振りかざさないでくれよ。

僕の言葉は君にとっては心地良いものではないかもしれない。

いや、むしろ気分を害すると君は言うね。

でもそれは単純に君が正義じゃないから。

君は正しくないから僕の言葉を否定するんだよ。

それでも僕は、僕のことを否定する君を

否定したりなんかはしないよ。

馬鹿。

今日からアッシュホワイトの床の上で過ごすことに決めたので

みんなは僕の生み出す女の子に恋をすればいいと思う。

…

本当はもっと人の心を抉ってしまって

恨まれてしまうような文章が書きたいのだけれど、

元来内気で繊細な僕には中々そういう訳にはいかないのでした。

誰かが誰かを指差して笑ってるのを見て

半端な正義感なんて振りかざしたくは無いのだ。

どうぞ愚痴を溢したければ溢せばいいんです。

大丈夫。僕は何も否定しません。

あなたが愚痴をこぼそうが

無理に笑顔を作ってポジティブぶったって

君は充分糞野郎だよ。てぺへろ。

そんな僕は今まで僕のことを

『かわいいかわいい』といって甘やかしてきてしまいました。

周りのみんなも僕を見て

『かわいいかわいい』といって甘やかしてきました。

だから悪いのは世界の方です。

掘り返して暴きだして、

ほんのつまらないものばかりのゴミの山を目の前にしなければ

捨てることもなかった決心ばかりで、

昔描いた夢の山が、

ゴミ山に無造作に転がっていた。

今の僕は酷く曖昧で。

ああそうか肩書きっていうのはアイデンティティだね、

と自分が自分であることにだけ

誇りを持っていた僕にあるまじき答えを見出した夜なのです。

僕は僕の描く絵も、作り出す立体物も、

紡ぎ出す言葉も、自分自身の姿形も、

何もかもが好きでしょうが無い。

だから女の子に現を抜かす暇なんて無いのだよ。

とか言う僕に対して

口角をあげたいやらしい顔で

反論否定説教垂れてるふりをする君。

君のその安っぽい正義感は糞の役にも立たないんだよ。

僕が保証してあげます。

僕の保証なんてなんの確約があるんだ?なんて思うだろ?

君がそう感じるように、

君の正義感も僕や皆にとって糞の役にも立ちゃあしないんだよ。

だから、そうやって悪戯に正義感を振りかざさないでくれよ。

僕の言葉は君にとっては心地良いものではないかもしれない。

いや、むしろ気分を害すると君は言うね。

でもそれは単純に君が正義じゃないから。

君は正しくないから僕の言葉を否定するんだよ。

それでも僕は、僕のことを否定する君を

否定したりなんかはしないよ。

馬鹿。

今日からアッシュホワイトの床の上で過ごすことに決めたので

みんなは僕の生み出す女の子に恋をすればいいと思う。

本当はもっと人の心を抉ってしまって

恨まれてしまうような文章が書きたいのだけれど、

元来内気で繊細な僕には中々そういう訳にはいかないのでした。

誰かが誰かを指差して笑ってるのを見て

半端な正義感なんて振りかざしたくは無いのだ。

どうぞ愚痴を溢したければ溢せばいいんです。

大丈夫。僕は何も否定しません。

あなたが愚痴をこぼそうが

無理に笑顔を作ってポジティブぶったって

君は充分糞野郎だよ。てぺへろ。

そんな僕は今まで僕のことを

『かわいいかわいい』といって甘やかしてきてしまいました。

周りのみんなも僕を見て

『かわいいかわいい』といって甘やかしてきました。

だから悪いのは世界の方です。

ストイックに技術を上げ続けるために必死になってるよりも、

下手でもいいからコミュ力ある方が幸せだったりするよね。

明日よりまた月曜日が始まり仕事になるなって言いながら

あの日、もう1本球体関節人形を題材に

イラストを描こうと思っていたのが、

何故か球体関節人形作家を目指すわけになったわけです。

丁度2年前の今頃、3年間務めていた不動産会社を

『フェルト作家にオレはなる!(ドンッ)』

と言って辞職したことを思い出します。

あの頃はなんだか走り回っていて、

9時出勤の21時上がりで休みが月に1回がざらで、

それでも平気で休みの日には日帰りで伊勢行ったり、

大阪港行ったり動きまわってたのに、

週休2日でその時より給料の良い今は

眼前に目標なく毎日を、ただ、生きているようでした。

それがその日、

それまで築いてきたモノを瞬時に捨てて夢を持ちました。

うーん。コレって言うのは夢のすり替えなのかな?

って思うけど、フェルト作家としての着地点としては、

とっくに満足してしまっていて、

惰性でしか無かったんですよね。

生まれたからには生きてやる。

僕はなにかやらかしてみたい。みたいなね。

それでもそう思える僕は、

未だ青春時代まっただ中なのかもしれませんね。

僕も営業職も数年経て、今は制作の職業に落ち着いているけど、

物を売ったり、作ったものを好きになってもらうためには、

人と人との繋がりや、その人の人間性自体が

重要視されるということはよく分っているつもりです。

自身が作ったものをPRして存在を知ってもらって

好きになってもらう努力をすること。

僕はそれを慣れあいだなんて思ってはいないよ。

それは営業努力であって極自然な大切なことだと思う。

じゃあなぜ僕はそれとは真逆で排他的で、

人に嫌われがちな態度ばかりとっているのかな?

そういうのは

作品にとっても悪印象じゃないの?って考えてみたんだよ。

僕は、『あの人が作ってるからあの人の作品が好き』

って言うのにすごく気味が悪いものを感じていて、

そういうのはなんか違うんじゃないかな?って思うんだよね。

作品と人間性は別だってね。

言い換えれば、

健全な精神は健全な肉体に

必ずしも宿ってるわけじゃあないんじゃないかな?

僕のことが嫌いで嫌いでしょうがなくても、

僕の作るものに惚れちゃってほしいよね。

ああ、いいなぁ…って思って、いつの間にか好きになって、

ってのもいいんだろうけど、

僕は一目惚れしかしたことが無くて、

僕がそうして人を好きになるように、

僕の作品にも惚れてほしいと思うんですね。

人と人の繋がりが、

一人では行けなかった場所に連れてってくれる事は多く、

そういう意味で他を排除してきたような僕の生き方ってのは、

随分ともったいないような気がします。

それでも

『あの人と仲良くしておいたら後々楽だよ』

とか

『そんな排他的で自論ばっかじゃ、この世界で一人になるよ』

とか、

訳知り顔で語って、にやにやしてるやつの顔見ると、

無性に鼻穴に馬糞詰め込みたくなるんですよね。

いや、穴という穴にね。

表現者が、自論語らないで他に何喋る事あるってんだよ。

手前のぬるいお湯で、僕の心は溶けやしないし、

僕の意思も消すことは出来やしないんだよ。

って言いながら馬糞を塗りこみたいよね。

別に君がそういう僕を嫌っても、僕は君の事を嫌いやしないよ。

だって、そうじゃなきゃ君は生きていけないんだろう?

別にほっといてくれとも、もう言わないよ。

黙ってそこで立ち止まりながら見ていてくれよ。

僕はもう少し先にいってるよ。

誰かの作品を目にして、見惚れてしまって、

心奪われそうな感慨に陥ることもあるけれど、

そんな時強く思うのは、

その作品へ向かう恋心にも似たようなものではなくて、

何故それを僕が作っていないのか?ってこと。

友達の彼女(友達いないけど)みたいなものなのかな?

別にこの年になって、

相手の処女性とかそんなもん気にするわけじゃあないし、

それまでに相手がどんな人間に恋して愛していたかなんて、

今、その目に映る僕を見てくれていればそれでいいんだよ。

それでもね、古くから言うように、

男は相手のはじめてになりたくて、

女はそのひとの最後になりたい、

なんてよく言うけどさ、そういう気持ちも分かるよね。

僕は誰かに愛されるために作品を作るんじゃなくて、

僕が愛する為に作りたいよ。



っていう、スタンスで人形作家やってけば

なんかいいんじゃないかな?てぺへろ☆(・ω

ストイックに技術を上げ続けるために必死になってるよりも、

下手でもいいからコミュ力ある方が幸せだったりするよね。

明日よりまた月曜日が始まり仕事になるなって言いながら

あの日、もう1本球体関節人形を題材に

イラストを描こうと思っていたのが、

何故か球体関節人形作家を目指すわけになったわけです。

丁度2年前の今頃、3年間務めていた不動産会社を

『フェルト作家にオレはなる!(ドンッ)』

と言って辞職したことを思い出します。

あの頃はなんだか走り回っていて、

9時出勤の21時上がりで休みが月に1回がざらで、

それでも平気で休みの日には日帰りで伊勢行ったり、

大阪港行ったり動きまわってたのに、

週休2日でその時より給料の良い今は

眼前に目標なく毎日を、ただ、生きているようでした。

それがその日、

それまで築いてきたモノを瞬時に捨てて夢を持ちました。

うーん。コレって言うのは夢のすり替えなのかな?

って思うけど、フェルト作家としての着地点としては、

とっくに満足してしまっていて、

惰性でしか無かったんですよね。

生まれたからには生きてやる。

僕はなにかやらかしてみたい。みたいなね。

それでもそう思える僕は、

未だ青春時代まっただ中なのかもしれませんね。

僕も営業職も数年経て、今は制作の職業に落ち着いているけど、

物を売ったり、作ったものを好きになってもらうためには、

人と人との繋がりや、その人の人間性自体が

重要視されるということはよく分っているつもりです。

自身が作ったものをPRして存在を知ってもらって

好きになってもらう努力をすること。

僕はそれを慣れあいだなんて思ってはいないよ。

それは営業努力であって極自然な大切なことだと思う。

じゃあなぜ僕はそれとは真逆で排他的で、

人に嫌われがちな態度ばかりとっているのかな?

そういうのは

作品にとっても悪印象じゃないの?って考えてみたんだよ。

僕は、『あの人が作ってるからあの人の作品が好き』

って言うのにすごく気味が悪いものを感じていて、

そういうのはなんか違うんじゃないかな?って思うんだよね。

作品と人間性は別だってね。

言い換えれば、

健全な精神は健全な肉体に

必ずしも宿ってるわけじゃあないんじゃないかな?

僕のことが嫌いで嫌いでしょうがなくても、

僕の作るものに惚れちゃってほしいよね。

ああ、いいなぁ…って思って、いつの間にか好きになって、

ってのもいいんだろうけど、

僕は一目惚れしかしたことが無くて、

僕がそうして人を好きになるように、

僕の作品にも惚れてほしいと思うんですね。

人と人の繋がりが、

一人では行けなかった場所に連れてってくれる事は多く、

そういう意味で他を排除してきたような僕の生き方ってのは、

随分ともったいないような気がします。

それでも

『あの人と仲良くしておいたら後々楽だよ』

とか

『そんな排他的で自論ばっかじゃ、この世界で一人になるよ』

とか、

訳知り顔で語って、にやにやしてるやつの顔見ると、

無性に鼻穴に馬糞詰め込みたくなるんですよね。

いや、穴という穴にね。

表現者が、自論語らないで他に何喋る事あるってんだよ。

手前のぬるいお湯で、僕の心は溶けやしないし、

僕の意思も消すことは出来やしないんだよ。

って言いながら馬糞を塗りこみたいよね。

別に君がそういう僕を嫌っても、僕は君の事を嫌いやしないよ。

だって、そうじゃなきゃ君は生きていけないんだろう?

別にほっといてくれとも、もう言わないよ。

黙ってそこで立ち止まりながら見ていてくれよ。

僕はもう少し先にいってるよ。

誰かの作品を目にして、見惚れてしまって、

心奪われそうな感慨に陥ることもあるけれど、

そんな時強く思うのは、

その作品へ向かう恋心にも似たようなものではなくて、

何故それを僕が作っていないのか?ってこと。

友達の彼女(友達いないけど)みたいなものなのかな?

別にこの年になって、

相手の処女性とかそんなもん気にするわけじゃあないし、

それまでに相手がどんな人間に恋して愛していたかなんて、

今、その目に映る僕を見てくれていればそれでいいんだよ。

それでもね、古くから言うように、

男は相手のはじめてになりたくて、

女はそのひとの最後になりたい、

なんてよく言うけどさ、そういう気持ちも分かるよね。

僕は誰かに愛されるために作品を作るんじゃなくて、

僕が愛する為に作りたいよ。

っていう、スタンスで人形作家やってけば

なんかいいんじゃないかな?てぺへろ☆(・ω

どんなに器用に見えたって、なんかどこか不器用な所あるよね。

小学生の頃思い描いた未来と比べて、

こんなはずじゃなかったなぁ…なんて考えてたりして。

でも、自分の人生は幸せと大声で言っている奴にも、

どこで折り合いつけたんだい?

なんて聞きたくもなってしまうんだ。

ずっと、練磨していくしかねえんだろうな。

それって、すごく面倒くさくてさ、

ああ幸せだなぁ…って思った時に死ぬべきなんだよね。

そうじゃなかったら、

その幸せもいつか壊れてしまうかもしれないよね。

それは人の幸せの形なんて人それぞれだけれど、

生きるってことにも似てるよね。

死にたくないって人は言うけれど、

目的もなくだらだら生きて何が面白いんだろうね。

幸せになりたいって言っても、

その思い描いた幸せは、

10日もしないうちにまた飽きて、

くだらないワイドショーを見てるのがオチだろう?

そう考えると、幸せにより良く生きるってのは、

死ぬべき時に死ねること。

そのことじゃないかな?って思うよ。

僕にとってはね。

俺(私)これ本気でやってっから!って言って、

ソレを人に馬鹿にされるのは

すごく怖くてしょうがねえんだろうな、って思うよ。

だから楽しくやったら良いじゃん?とか、

そこまで本気になっても、ソレで食ってくわけじゃないし…

って予防線張る気持ち。僕は分かるよ。

そうやって都合のいい幸せを肯定することで、

否定派を敬遠してるんだよね。

僕のぬるま湯に熱湯入れないでください!

冷水かけないでください!ってね。僕もそうだから分かるよ。

どんなに器用に見えたって、なんかどこか不器用な所あるよね。

小学生の頃思い描いた未来と比べて、

こんなはずじゃなかったなぁ…なんて考えてたりして。

でも、自分の人生は幸せと大声で言っている奴にも、

どこで折り合いつけたんだい?

なんて聞きたくもなってしまうんだ。

ずっと、練磨していくしかねえんだろうな。

それって、すごく面倒くさくてさ、

ああ幸せだなぁ…って思った時に死ぬべきなんだよね。

そうじゃなかったら、

その幸せもいつか壊れてしまうかもしれないよね。

それは人の幸せの形なんて人それぞれだけれど、

生きるってことにも似てるよね。

死にたくないって人は言うけれど、

目的もなくだらだら生きて何が面白いんだろうね。

幸せになりたいって言っても、

その思い描いた幸せは、

10日もしないうちにまた飽きて、

くだらないワイドショーを見てるのがオチだろう?

そう考えると、幸せにより良く生きるってのは、

死ぬべき時に死ねること。

そのことじゃないかな?って思うよ。

僕にとってはね。

俺(私)これ本気でやってっから!って言って、

ソレを人に馬鹿にされるのは

すごく怖くてしょうがねえんだろうな、って思うよ。

だから楽しくやったら良いじゃん?とか、

そこまで本気になっても、ソレで食ってくわけじゃないし…

って予防線張る気持ち。僕は分かるよ。

そうやって都合のいい幸せを肯定することで、

否定派を敬遠してるんだよね。

僕のぬるま湯に熱湯入れないでください!

冷水かけないでください!ってね。僕もそうだから分かるよ。

僕が皮肉や辛辣な言葉を投げつけるのは

全て自分自身へ向けての言葉なのだ。

と言ったら幾分偽善的ではあるものの、

僕が吐き出す言葉に対して、

自分自身の歩みを振り返り、

なんら恥じ入ることがないのならば、

それは真実なのだろうと思う。

それでも結局は承認欲求的なものを満たすために

絵を描いたり製作したりしてるような

浅はかな根底があるんじゃないかと

自己否定をすることも多くあるが、

僕は頭が悪いので、寝て起きたら忘れるのだ。

しかしながら、

寝ても起きても飯を食って糞しても収まることのない

焦燥感、空虚感は何だろうか?

などと言葉を連ねてみても、

届く相手のいない受話器に語りかけているのと、

それと同じようなことなのだ。

世界は真っ白ではない。

僕が皮肉や辛辣な言葉を投げつけるのは

全て自分自身へ向けての言葉なのだ。

と言ったら幾分偽善的ではあるものの、

僕が吐き出す言葉に対して、

自分自身の歩みを振り返り、

なんら恥じ入ることがないのならば、

それは真実なのだろうと思う。

それでも結局は承認欲求的なものを満たすために

絵を描いたり製作したりしてるような

浅はかな根底があるんじゃないかと

自己否定をすることも多くあるが、

僕は頭が悪いので、寝て起きたら忘れるのだ。

しかしながら、

寝ても起きても飯を食って糞しても収まることのない

焦燥感、空虚感は何だろうか?

などと言葉を連ねてみても、

届く相手のいない受話器に語りかけているのと、

それと同じようなことなのだ。

世界は真っ白ではない。

それはもう独善的な物の見方で申し訳ないのだが、

僕にとって人間関係と言うのは

ずいぶんと利己的な物でしかなかったんだなと、

事につけ思ったりもするわけです。

人と人との繋がりというのは、

あくまでも自分にとって有益であるか否かで、

そういう風に言い切ってしまえば、

人によってはなんて資本主義的なのだろう?

と訝しがる人もいるかも知れないけれども、

そんなことは大なり小なり

誰もが前提として備えた防衛本能というものだろうと思う。

誰が好き好んで

自分に損害を被る人ばかりと付き合ったりするだろうか?

もし、僕がこう言い放ったことで、

あいつは人間の器が小さい、と思ったような輩は、

僕を見るのと同じように浅はかであり、また浅薄である。

むしろ薄っぺらい安易な馴れ合いを続けるほうが、

よっぽど双方に対して礼を欠いた行動ではないのかと思うんだ。

無礼を形にしたような僕が口に出来ることではないけれども。

それでも、対面した人に誠実でありたいからこそ、

割り切った物の見方を心掛けたいもので。

僕らが生活をするってことは、それだけで、

それはもう

恐ろしい数の人間の関係性を構築せざるを得ないわけで、

親族、学業に携わる同窓生に先生、

社会的立場上の関係性に、

日々の生活用品や食料を生産、加工する人たち。

もう、いろんな人の手垢を食って生きているようなもんだよね。

そんな手垢の塊みたいな人間が、関係性を放棄する事なんて、

 端 っから無理に決まっていて、

それを知りながら、

煩わしい人間関係?Fuck!って言ってみたり、

そんなつまらない自己啓発をしてみたりするんだ。

いわゆるパンクぶってみたりさ。

そうやって、

固執に似た偏屈な思考の僕を非難する人がいるかもしれない。

けどさ、君の汚らしい欲望の吐露や、薄汚れた愚痴や、

自己満足の創作物と、何の違いがあるというんだい?

僕は僕の自由に出来る意思の範囲でしか語ることは無いし、

君に、そんなこと言うなよ、

とも、嫌なら見るなとも言いはしないよ。

僕は、僕の意思によってのみ自由であるべきで、

そして君もまた、

その限りにおいて自由であるべきだと思うんだ。

どちらも、どうせ似たもんだね。 

日々の暮らしの中で…

なんて文体からはじめると、

なんだか自分が随筆家かなんかと

勘違いしてしまいそうになるけれど、

アニメの言葉を借りるならば、

どうせ何者にもなれていない僕ってことだ。

着飾って作家なんて名乗ってみたりしても、

それらは僕の衣服と同じくファッションに過ぎないのかもね。

あのころ、頑なに旭日旗を振りながら愛国を叫んでいたのも、

もしかしたらファッションなのかもしれないね。

そうやって薄っぺらな僕がいったい何を語ることが出来るのか?

日々の暮らしの中で…なんて語句からはじめてみたって、

何も思いつきやしないんだよ。

それはもう独善的な物の見方で申し訳ないのだが、

僕にとって人間関係と言うのは

ずいぶんと利己的な物でしかなかったんだなと、

事につけ思ったりもするわけです。

人と人との繋がりというのは、

あくまでも自分にとって有益であるか否かで、

そういう風に言い切ってしまえば、

人によってはなんて資本主義的なのだろう?

と訝しがる人もいるかも知れないけれども、

そんなことは大なり小なり

誰もが前提として備えた防衛本能というものだろうと思う。

誰が好き好んで

自分に損害を被る人ばかりと付き合ったりするだろうか?

もし、僕がこう言い放ったことで、

あいつは人間の器が小さい、と思ったような輩は、

僕を見るのと同じように浅はかであり、また浅薄である。

むしろ薄っぺらい安易な馴れ合いを続けるほうが、

よっぽど双方に対して礼を欠いた行動ではないのかと思うんだ。

無礼を形にしたような僕が口に出来ることではないけれども。

それでも、対面した人に誠実でありたいからこそ、

割り切った物の見方を心掛けたいもので。

僕らが生活をするってことは、それだけで、

それはもう

恐ろしい数の人間の関係性を構築せざるを得ないわけで、

親族、学業に携わる同窓生に先生、

社会的立場上の関係性に、

日々の生活用品や食料を生産、加工する人たち。

もう、いろんな人の手垢を食って生きているようなもんだよね。

そんな手垢の塊みたいな人間が、関係性を放棄する事なんて、

端 っから無理に決まっていて、

それを知りながら、

煩わしい人間関係?Fuck!って言ってみたり、

そんなつまらない自己啓発をしてみたりするんだ。

いわゆるパンクぶってみたりさ。

そうやって、

固執に似た偏屈な思考の僕を非難する人がいるかもしれない。

けどさ、君の汚らしい欲望の吐露や、薄汚れた愚痴や、

自己満足の創作物と、何の違いがあるというんだい?

僕は僕の自由に出来る意思の範囲でしか語ることは無いし、

君に、そんなこと言うなよ、

とも、嫌なら見るなとも言いはしないよ。

僕は、僕の意思によってのみ自由であるべきで、

そして君もまた、

その限りにおいて自由であるべきだと思うんだ。

どちらも、どうせ似たもんだね。

日々の暮らしの中で…

なんて文体からはじめると、

なんだか自分が随筆家かなんかと

勘違いしてしまいそうになるけれど、

アニメの言葉を借りるならば、

どうせ何者にもなれていない僕ってことだ。

着飾って作家なんて名乗ってみたりしても、

それらは僕の衣服と同じくファッションに過ぎないのかもね。

あのころ、頑なに旭日旗を振りながら愛国を叫んでいたのも、

もしかしたらファッションなのかもしれないね。

そうやって薄っぺらな僕がいったい何を語ることが出来るのか?

日々の暮らしの中で…なんて語句からはじめてみたって、

何も思いつきやしないんだよ。

めでたいこと、それ以上に

度重なる災害に痛みきった日本に心を痛められ

また、その足でいつも被災地に赴き、

お声をかけて頂けるそのお姿に

今一度感謝を再確認する日だと、そう思っています。

実際に被災された方々の痛みや心労は想像だに出来ませんが、

もし僕が実際に被災して心細く避難所で震えてたとして、

官僚が、事故責任者が

責任逃れやアピール、パフォーマンスに訪問するよりも、

天皇皇后両陛下がいつものように、

その病身をおして訪問なされたとしたならば、

どんなに心強いだろうか?と、考えていたりしました。

天皇陛下が天皇陛下であらせられるのは、

日本国民がいるからであって、

また我々国民も日本人として在ることが出来るのもまた、

天皇陛下がいらっしゃるおかげだと思っています。

べつに、クリスマスを祝ったからって非国民!

なんて言う気はないし、楽しんだら良いと思うんだ。

ただ、日本国としての祝日。

日本国の象徴たる天皇陛下の誕生日を皆、

心のどこかで祝ってほしいものです。

天皇陛下のお姿と言うのは、

各国の屈強そうな首脳陣、国賓に対しても堂々と、

また大変にこやかに迎えられている毅然としたお姿と、

また、それと同じくらいに、

着回しのジャンパーに袖を通され、

いつも膝をついて、腰を曲げて国民と同じ目線にて言葉をかけ、

耳を傾けられているお姿が思い起こされます。

地震大国と呼ばれる日本においては、年中どこかで被災し、

悲しみ途方にくれている人がいて、

いつも真っ先に駆けつけては、誠心誠意対応されています。

テレビでの報道では

まるでイベントごとのように取り上げられますが、

それが日常というのには多大な精神力がいるのだと思います。

僕なんかでは計り知ることは出来ませんが、

いつもそのような立場に身を置かれ、

国民の平和を一身に願われている天皇陛下に、

馬鹿みたいな僕ですが、

少しでも安らぎが訪れてくれるのを願っています。

我々日本国民の心の拠り所として

存在し続けておられる天皇陛下が、

本日、78歳のお誕生日を迎えられました。

皆様、間違えず、間違えずに本日を全力でお祝いしましょう。

日本のため、天皇陛下のため、

今一度できることをしようと思います。

がんばりましょう。

僕らの明日のために。

お誕生日、おめでとうございます。

めでたいこと、それ以上に

度重なる災害に痛みきった日本に心を痛められ

また、その足でいつも被災地に赴き、

お声をかけて頂けるそのお姿に

今一度感謝を再確認する日だと、そう思っています。

実際に被災された方々の痛みや心労は想像だに出来ませんが、

もし僕が実際に被災して心細く避難所で震えてたとして、

官僚が、事故責任者が

責任逃れやアピール、パフォーマンスに訪問するよりも、

天皇皇后両陛下がいつものように、

その病身をおして訪問なされたとしたならば、

どんなに心強いだろうか?と、考えていたりしました。

天皇陛下が天皇陛下であらせられるのは、

日本国民がいるからであって、

また我々国民も日本人として在ることが出来るのもまた、

天皇陛下がいらっしゃるおかげだと思っています。

べつに、クリスマスを祝ったからって非国民!

なんて言う気はないし、楽しんだら良いと思うんだ。

ただ、日本国としての祝日。

日本国の象徴たる天皇陛下の誕生日を皆、

心のどこかで祝ってほしいものです。

天皇陛下のお姿と言うのは、

各国の屈強そうな首脳陣、国賓に対しても堂々と、

また大変にこやかに迎えられている毅然としたお姿と、

また、それと同じくらいに、

着回しのジャンパーに袖を通され、

いつも膝をついて、腰を曲げて国民と同じ目線にて言葉をかけ、

耳を傾けられているお姿が思い起こされます。

地震大国と呼ばれる日本においては、年中どこかで被災し、

悲しみ途方にくれている人がいて、

いつも真っ先に駆けつけては、誠心誠意対応されています。

テレビでの報道では

まるでイベントごとのように取り上げられますが、

それが日常というのには多大な精神力がいるのだと思います。

僕なんかでは計り知ることは出来ませんが、

いつもそのような立場に身を置かれ、

国民の平和を一身に願われている天皇陛下に、

馬鹿みたいな僕ですが、

少しでも安らぎが訪れてくれるのを願っています。

我々日本国民の心の拠り所として

存在し続けておられる天皇陛下が、

本日、78歳のお誕生日を迎えられました。

皆様、間違えず、間違えずに本日を全力でお祝いしましょう。

日本のため、天皇陛下のため、

今一度できることをしようと思います。

がんばりましょう。

僕らの明日のために。

お誕生日、おめでとうございます。

この1年。何に感動し、何に笑い、憤り、なにを生み出した?

あなたはどうせ、なにも産み出してはいないでしょうが、

それでも今年はもうすぐ終わるね。

苛酷な天災に、不当な裁量に、

どれほど涙をのんで、拳を握りましたか?

年の区切りなんて、傷や怒りには何も関係はないかもしれない。

ではいつ、終わる?

区切りをつけないとしたなら、

その傷はいつ癒えて、その怒りはいつおさまる?

僕たちは、下を向きながらでも、

後ろを向きながらでも、進まなければ。

残り僅かな時間。

なにか、やり残したことないの?

飛沫が飛んで虚しくなってさ。

それが12月だってさ。

どこから来たんだい?って聞かれたから、

あなたはどこ迄いくんだい?って答えた。

そこから何が見えるか?と問われて、

あなたは何が見たいのかと聞いたんだ?

僕はあなたの問いに答えはしないし、

あなたも僕の問いに答えはしなかったから、

ゆっくりと、この歩みを進めるしか他に無かったんだ。

そんな繰り返しの毎日ばかりだ。

繰り返して揺り返して。気が狂ったフリをして平常心。

あのとき一冊の破戒を手にして、何を信じていただろう?

何も信じちゃいなかったから、友達もいない、

独り、真っ白な部屋でモニターを目の前にしているんだろ?

沢山の疑問や期待に圧迫されながら

必死に空気を求めてもがいている。

その様はなんて滑稽だろう?

必死になっていろいろな事柄に逃げ回って。

結局は事実に直視しなければいけないのに、

必死に目を逸らしている。気付いてて目を逸らしてたんだ。

そう言った君の瞳は、何かに逃げてる目ではなかったよね。

今、今戦おうと言う、そんな目だったよね。

僕らがこうして生きてるのは

ほんの少しの偶然やラッキーや、

もしかしたら

いろいろな事柄から逃げてきた成果かも知れないけど、

それと同じくらい、必死に、

決死に戦ってきた人達がいたおかげかも知れないね。

僕と君。

逃げようか?

戦おうか?

残りの時間に、どちらを選ぼうか?

この1年。何に感動し、何に笑い、憤り、なにを生み出した?

あなたはどうせ、なにも産み出してはいないでしょうが、

それでも今年はもうすぐ終わるね。

苛酷な天災に、不当な裁量に、

どれほど涙をのんで、拳を握りましたか?

年の区切りなんて、傷や怒りには何も関係はないかもしれない。

ではいつ、終わる?

区切りをつけないとしたなら、

その傷はいつ癒えて、その怒りはいつおさまる?

僕たちは、下を向きながらでも、

後ろを向きながらでも、進まなければ。

残り僅かな時間。

なにか、やり残したことないの?

飛沫が飛んで虚しくなってさ。

それが12月だってさ。

どこから来たんだい?って聞かれたから、

あなたはどこ迄いくんだい?って答えた。

そこから何が見えるか?と問われて、

あなたは何が見たいのかと聞いたんだ?

僕はあなたの問いに答えはしないし、

あなたも僕の問いに答えはしなかったから、

ゆっくりと、この歩みを進めるしか他に無かったんだ。

そんな繰り返しの毎日ばかりだ。

繰り返して揺り返して。気が狂ったフリをして平常心。

あのとき一冊の破戒を手にして、何を信じていただろう?

何も信じちゃいなかったから、友達もいない、

独り、真っ白な部屋でモニターを目の前にしているんだろ?

沢山の疑問や期待に圧迫されながら

必死に空気を求めてもがいている。

その様はなんて滑稽だろう?

必死になっていろいろな事柄に逃げ回って。

結局は事実に直視しなければいけないのに、

必死に目を逸らしている。気付いてて目を逸らしてたんだ。

そう言った君の瞳は、何かに逃げてる目ではなかったよね。

今、今戦おうと言う、そんな目だったよね。

僕らがこうして生きてるのは

ほんの少しの偶然やラッキーや、

もしかしたら

いろいろな事柄から逃げてきた成果かも知れないけど、

それと同じくらい、必死に、

決死に戦ってきた人達がいたおかげかも知れないね。

僕と君。

逃げようか?

戦おうか?

残りの時間に、どちらを選ぼうか?

とても、ショッキングな歌詞のように見えても、
関心無い顔をして人を内心あざ笑って、
ワイドショーに悲しんだフリをして
自分だけは人の痛みを解るなんて勘違いしやがって、
世の中の不条理は
其処かしこに内包されているにも関わらず、
気付かないフリ知らないフリをして、
本当に戦ってる奴らをみて、
難癖つけて鼻で笑って、
そしてそんな奴らを、
少し優越感に浸ってエゴを押し付けるようなさ。
無い物ねだりばっかりで。
そんな当たり前の世の中そのものだよね。
心震えさせて何かを成すならば、
やっぱり自分自身がその体でぶつかって、
その手で掴まなければならないんだ。
何も掴めないなら、僕はせめて強く拳を握っているよ。
友愛であったり、親愛であったり、
もちろん誰か1人に特別な感情を抱くことも愛だろう、
もしくは、何かを想うこと、
それ自体が考えようによっては愛ゆえにかも知れない。
そんな何者にも抱く当たり前の感情を、
いつからか忘れてしまっていた。
その頃からいくつかの季節を経て
少しずつ色々なものに愛着が湧くようになって。
そういう気持ちが世界を救えるならば、
とっくに世界は手を取り合っているはずだ。
それなのに
未だ掌に画鋲を仕込んで握手を求めるような世の中だ。
Fuck!!と言い切ってしまっても何にもならないのに、
今日も暗い空に向かって言葉を吐き捨てる。
壁の結露が止まらないし、
なんだか涙もとまらない。
なんだか吐き出そうとした汚い言葉も
流れていた音楽に包まれて
角が取れてまるくなってしまった。
そもそも攻撃的な言葉なんて必要ないし、
悲観的な思いも本当は考える必要なんて無いけれど、
暗く重たい思考は、
いつの間にか僕の心に住み着いて、
ことあるごとに生み出していく。
それを打ち破る強さが、
希望であったり信念であったり、
自分の中の正義なんだろうと思う。
美しくなくていい。
真っ直ぐ自分の正義を信じて生きたい。
その為には自分自身の正義を確立しないと駄目だよね。

とても、ショッキングな歌詞のように見えても、

関心無い顔をして人を内心あざ笑って、

ワイドショーに悲しんだフリをして

自分だけは人の痛みを解るなんて勘違いしやがって、

世の中の不条理は

其処かしこに内包されているにも関わらず、

気付かないフリ知らないフリをして、

本当に戦ってる奴らをみて、

難癖つけて鼻で笑って、

そしてそんな奴らを、

少し優越感に浸ってエゴを押し付けるようなさ。

無い物ねだりばっかりで。

そんな当たり前の世の中そのものだよね。

心震えさせて何かを成すならば、

やっぱり自分自身がその体でぶつかって、

その手で掴まなければならないんだ。

何も掴めないなら、僕はせめて強く拳を握っているよ。

友愛であったり、親愛であったり、

もちろん誰か1人に特別な感情を抱くことも愛だろう、

もしくは、何かを想うこと、

それ自体が考えようによっては愛ゆえにかも知れない。

そんな何者にも抱く当たり前の感情を、

いつからか忘れてしまっていた。

その頃からいくつかの季節を経て

少しずつ色々なものに愛着が湧くようになって。

そういう気持ちが世界を救えるならば、

とっくに世界は手を取り合っているはずだ。

それなのに

未だ掌に画鋲を仕込んで握手を求めるような世の中だ。

Fuck!!と言い切ってしまっても何にもならないのに、

今日も暗い空に向かって言葉を吐き捨てる。

壁の結露が止まらないし、

なんだか涙もとまらない。

なんだか吐き出そうとした汚い言葉も

流れていた音楽に包まれて

角が取れてまるくなってしまった。

そもそも攻撃的な言葉なんて必要ないし、

悲観的な思いも本当は考える必要なんて無いけれど、

暗く重たい思考は、

いつの間にか僕の心に住み着いて、

ことあるごとに生み出していく。

それを打ち破る強さが、

希望であったり信念であったり、

自分の中の正義なんだろうと思う。

美しくなくていい。

真っ直ぐ自分の正義を信じて生きたい。

その為には自分自身の正義を確立しないと駄目だよね。

クソッタレってのは、僕の事さ。
凍てつく季節がやってくる。
部屋を温かくして、薄ぼんやりした明りに包まれて、
久しぶりに『金閣寺』を読もうか。
日本文学の美意識の集大成とも呼ばれる作品を、
僕はまだ一度しか目を通したことが無い。
僕がよく読むのは『潮騒』で、
読むたびに、はぁ、とため息をついてしまうのだ。
金閣寺を読む前に、潮騒、憂国を読もう。
そして、今一度僕が普段使っている下品な言葉を改めよう。
そうして過去の作品と向き合う事で、
絵描いたり、表現したりさ…
そんなもんになんか意味あんの?誰かの何かを変えるん?それ?
って腐って唾吐いて腐ってさ。
あー、なんだかどおでもいいや!
僕が生きてんのも何も意味ねぇな、糞が。
って毎日毎日思いばかり巡ってさ、
ああ、もうなんもかも厭だなって思っててさ。
ああ、そういや最近聴いてねぇな、
って思って激情に駆られてた頃の音楽聴いてたらさ、
唄うって事の意味を思い出したよ。
世界はそんなに素晴らしく無いかも知れないし、
未来もきっと真っ暗かも知れないけど、
胸に抱きたい一編の詩と、口ずさみたい歌があれば、
なんとか、どうにか生きていけるかな?って思ったよ。
でも、そうやって生きれるかな?って思った世界も、
僕がキレイだと思うものを、
君は美しとは捉えないかも知れない。
そんな簡単な事に気付いたあの時から、
人と解り合おうなんて諦めてしまったのかも知れない。
君との距離が今、どれだけ離れてしまったのか知らないけど、
君の見ている美しい世界を僕も見たかった。
僕たちは、なんて言葉を使ってしまうと、
自分自身の責任を放棄してしまうからそんな事は言えないけど、
僕が青と思っているものを、
あなたは僕にとっての赤に網膜が捉えているかも知れなくて、
同じ景色を見て美しいね、って笑い合っても、
結局は僕の目に映ってるものと別のものを見て美しいね、
って言ってるかも知れなくて、
だから美しい風景を二人で見に行く事はしなかったんだ。
出来るだけお互いを傷つけて確認し合って。
そうでしか解り合えないと思っていた。
でも、そんな事考えないで、目を閉じていないで、
広がる世界を2人で見れば良かったんだな。
最近じゃあ
何かどうでも良い事ばかりが頭の中を占拠してしまって、
ただ、自縄自縛で身動き取れなくなって、
背中にはじっとりとした
質量の無い焦燥と不安がついて廻るんだ。
本当は死ぬ事を一生懸命考えたいのに、
無為に、何の為にもならない、
飯を喰って糞を垂れるだけの毎日が続いている。
僕は結局なんだったのか?なんて思い出せなくて、
あなたの為のなんだったか?なんて忘れてしまって、
死ぬ事も考えず家畜のような日々を過ごしている。
何をしなきゃならないか?なんて、そんなもん必要無いだろ。
しなきゃならないことは、やらなきゃいけないんだからさ。
何がしたいか?どう死にたいか?その為にどう生きるべきか?
こそが大事なんじゃねぇの?
心に突き刺さる音が、涙腺を崩壊させる映像が、
それらが僕に感動をもたらしても、
それは僕の作ったものじゃないからさ、
それに満足してる自分がいたって客観的視したときに、
ほんとに気持ち悪いなコイツ。って思ったよ。
上向いて歩いたら段差に躓いて、
前だけ向いてりゃ後ろから刺されるよ。
常に尖ってる必要は無いんじゃない?
なんて言う奴も居るけどさ、そう言う奴は、
そうでなきゃ生きてけないやつの存在を知らないんだよ。
すっかりぬるい言葉ばかり、
よくもまぁこの口からペラペラと出るもんだと、
自分自身呆れてしまったけど、切れない刀に用はないよね。
僕が一塊の鉄ならば、美しい日本刀になろうって話さ。

クソッタレってのは、僕の事さ。

凍てつく季節がやってくる。

部屋を温かくして、薄ぼんやりした明りに包まれて、

久しぶりに『金閣寺』を読もうか。

日本文学の美意識の集大成とも呼ばれる作品を、

僕はまだ一度しか目を通したことが無い。

僕がよく読むのは『潮騒』で、

読むたびに、はぁ、とため息をついてしまうのだ。

金閣寺を読む前に、潮騒、憂国を読もう。

そして、今一度僕が普段使っている下品な言葉を改めよう。

そうして過去の作品と向き合う事で、

絵描いたり、表現したりさ…

そんなもんになんか意味あんの?誰かの何かを変えるん?それ?

って腐って唾吐いて腐ってさ。

あー、なんだかどおでもいいや!

僕が生きてんのも何も意味ねぇな、糞が。

って毎日毎日思いばかり巡ってさ、

ああ、もうなんもかも厭だなって思っててさ。

ああ、そういや最近聴いてねぇな、

って思って激情に駆られてた頃の音楽聴いてたらさ、

唄うって事の意味を思い出したよ。

世界はそんなに素晴らしく無いかも知れないし、

未来もきっと真っ暗かも知れないけど、

胸に抱きたい一編の詩と、口ずさみたい歌があれば、

なんとか、どうにか生きていけるかな?って思ったよ。

でも、そうやって生きれるかな?って思った世界も、

僕がキレイだと思うものを、

君は美しとは捉えないかも知れない。

そんな簡単な事に気付いたあの時から、

人と解り合おうなんて諦めてしまったのかも知れない。

君との距離が今、どれだけ離れてしまったのか知らないけど、

君の見ている美しい世界を僕も見たかった。

僕たちは、なんて言葉を使ってしまうと、

自分自身の責任を放棄してしまうからそんな事は言えないけど、

僕が青と思っているものを、

あなたは僕にとっての赤に網膜が捉えているかも知れなくて、

同じ景色を見て美しいね、って笑い合っても、

結局は僕の目に映ってるものと別のものを見て美しいね、

って言ってるかも知れなくて、

だから美しい風景を二人で見に行く事はしなかったんだ。

出来るだけお互いを傷つけて確認し合って。

そうでしか解り合えないと思っていた。

でも、そんな事考えないで、目を閉じていないで、

広がる世界を2人で見れば良かったんだな。

最近じゃあ

何かどうでも良い事ばかりが頭の中を占拠してしまって、

ただ、自縄自縛で身動き取れなくなって、

背中にはじっとりとした

質量の無い焦燥と不安がついて廻るんだ。

本当は死ぬ事を一生懸命考えたいのに、

無為に、何の為にもならない、

飯を喰って糞を垂れるだけの毎日が続いている。

僕は結局なんだったのか?なんて思い出せなくて、

あなたの為のなんだったか?なんて忘れてしまって、

死ぬ事も考えず家畜のような日々を過ごしている。

何をしなきゃならないか?なんて、そんなもん必要無いだろ。

しなきゃならないことは、やらなきゃいけないんだからさ。

何がしたいか?どう死にたいか?その為にどう生きるべきか?

こそが大事なんじゃねぇの?

心に突き刺さる音が、涙腺を崩壊させる映像が、

それらが僕に感動をもたらしても、

それは僕の作ったものじゃないからさ、

それに満足してる自分がいたって客観的視したときに、

ほんとに気持ち悪いなコイツ。って思ったよ。

上向いて歩いたら段差に躓いて、

前だけ向いてりゃ後ろから刺されるよ。

常に尖ってる必要は無いんじゃない?

なんて言う奴も居るけどさ、そう言う奴は、

そうでなきゃ生きてけないやつの存在を知らないんだよ。

すっかりぬるい言葉ばかり、

よくもまぁこの口からペラペラと出るもんだと、

自分自身呆れてしまったけど、切れない刀に用はないよね。

僕が一塊の鉄ならば、美しい日本刀になろうって話さ。

よく、『優しくなりたい』と人は言うけどさ、
他者の愚行を咎めず、
心を削ってまで人のこと考えるなんて真っ平だね。
それだったら、
『あいつは口煩いから付き合わんとこ』
って思われてた方がまだましだよ。
そんなんを優しさって呼ぶんなら
やっぱり僕は優しくなんかならなくていいよ。
僕は心を圧してまで優しいフリなんかするつもりは無い。
ただ真っ直ぐにありたいと思うんだ。
ただ推し通る愚直さは真っ直ぐとは違うって言われるんだよ。
君の正義は僕の正義とは違うよね、って。
そうだね、って言って、たまに落ち込んだりしても、
やっぱり自分の心に嘘ついてまで言葉を紡ぐなんて無理だよね。
間違ってる奴見てへらへらして
『へへへ、そうだね』なんて相槌打ってりゃ、
なんだか意味も無く悲しくなって、
夜、天井見上げながら涙が出て来るんだよ。
ぐずぐずして黒い感じになって、
悲しくて泣けてくるようなことが優しさかよ?ってな。
優しさってのを僕が取り違えてるんだってのは知ってるよ。
でも、今の世の中の優しさってなんだよ?って思うんだよね。
嘘つくことか?
おべっかか?
へつらうことか?
あー、糞でも食ってろよ。
この世界で優しいのは、
僕の作るフェルトの動物達だけでいいだろ?

よく、『優しくなりたい』と人は言うけどさ、

他者の愚行を咎めず、

心を削ってまで人のこと考えるなんて真っ平だね。

それだったら、

『あいつは口煩いから付き合わんとこ』

って思われてた方がまだましだよ。

そんなんを優しさって呼ぶんなら

やっぱり僕は優しくなんかならなくていいよ。

僕は心を圧してまで優しいフリなんかするつもりは無い。

ただ真っ直ぐにありたいと思うんだ。

ただ推し通る愚直さは真っ直ぐとは違うって言われるんだよ。

君の正義は僕の正義とは違うよね、って。

そうだね、って言って、たまに落ち込んだりしても、

やっぱり自分の心に嘘ついてまで言葉を紡ぐなんて無理だよね。

間違ってる奴見てへらへらして

『へへへ、そうだね』なんて相槌打ってりゃ、

なんだか意味も無く悲しくなって、

夜、天井見上げながら涙が出て来るんだよ。

ぐずぐずして黒い感じになって、

悲しくて泣けてくるようなことが優しさかよ?ってな。

優しさってのを僕が取り違えてるんだってのは知ってるよ。

でも、今の世の中の優しさってなんだよ?って思うんだよね。

嘘つくことか?

おべっかか?

へつらうことか?

あー、糞でも食ってろよ。

この世界で優しいのは、

僕の作るフェルトの動物達だけでいいだろ?

残念ながら僕は2次元です。
皆様方におきましては、僕を素敵な雰囲気の男性とお考えの方も
いらっしゃるかと思いますが、
残念ながら僕は『非実在青年』です。
そう。2次元なのです。
いわば、アニメや漫画のような存在だと言えます。
えっ?実際に会った人がいる?
それは勘違いです。
僕は謂わば概念のようなものと捉えてくれたらいいのです。
実在なんてするわけが無いじゃないですか。
こんな薄汚れて自分の欲を満たす為ならば、
平気で国を売り渡し、
エコや節電と声高に叫んでは
弱者のブレーカーを落として回ってるような
そんな恐ろしい世の中に、
一瞬でも存在できるわけが無いではありませんか。
僕はもう、世界がかわいいフェルトのお人形で満たされた
そんな世の中にいたいのです。
諍いも争いも、災害も何一つ無い、
お菓子を食べて、パンが無かったらケーキを食べるような、
そんな生活がしたいのです。
心に棘など刺していたくは無いのです。
言葉に棘など必要ないのです。
悲しくて拳を握り締めるような、
遠く会えぬ人との逢瀬を結ぶことを願うような、
そんな必死な気持ちはシナリオだけで充分なんです。
台本どおりの生活を、日々淡々と過ごしていたいのです。
でも、どうしたことか、
そんな代わり映え起伏の無い日々のローテーションなんて、
俗に言われる3次元社会の多くの人のそれと、
全く変わらないのかもしれません。
悲しいことに僕は2次元です。
僕に会いたければ、いつでもサイトに足を運んでください。
僕はいつでも其処にいます。
http://prawn-prawn-felt-and-design.com

残念ながら僕は2次元です。

皆様方におきましては、僕を素敵な雰囲気の男性とお考えの方も

いらっしゃるかと思いますが、

残念ながら僕は『非実在青年』です。

そう。2次元なのです。

いわば、アニメや漫画のような存在だと言えます。

えっ?実際に会った人がいる?

それは勘違いです。

は謂わば概念のようなものと捉えてくれたらいいのです。

実在なんてするわけが無いじゃないですか。

こんな薄汚れて自分の欲を満たす為ならば、

平気で国を売り渡し、

エコや節電と声高に叫んでは

弱者のブレーカーを落として回ってるような

そんな恐ろしい世の中に、

一瞬でも存在できるわけが無いではありませんか。

僕はもう、世界がかわいいフェルトのお人形で満たされた

そんな世の中にいたいのです。

諍いも争いも、災害も何一つ無い、

お菓子を食べて、パンが無かったらケーキを食べるような、

そんな生活がしたいのです。

心に棘など刺していたくは無いのです。

言葉に棘など必要ないのです。

悲しくて拳を握り締めるような、

遠く会えぬ人との逢瀬を結ぶことを願うような、

そんな必死な気持ちはシナリオだけで充分なんです。

台本どおりの生活を、日々淡々と過ごしていたいのです。

でも、どうしたことか、

そんな代わり映え起伏の無い日々のローテーションなんて、

俗に言われる3次元社会の多くの人のそれと、

全く変わらないのかもしれません。

悲しいことに僕は2次元です。

僕に会いたければ、いつでもサイトに足を運んでください。

僕はいつでも其処にいます。

http://prawn-prawn-felt-and-design.com

取り留めもなく思いを連ねて候。
僕は結局無為に日々を過ごしては、
ああ、今日も無為だったと考える毎日を過ごしています。
其れは彼方の期待によってか知らず、
はたまた僕自身の怠惰によっての事なのでしょう。
人に対して幻滅するのは
等しく自分自身に対しての幻滅とも知らずに
ひと時の絶望にも満たない切なさをもって
人生のすべて、などと勘違い甚だしい今日この頃。
僕はいつしか夢を持たぬ事をスタンスとし、
希望の容積だけ絶望の数量が決まると思い込み、
何もかも諦めて参りました。
これはなんと悲劇なんだ!と嘆く人は多いに嘆いてください。
かつて華々しく散った男の末路がこれです。
希望と夢と絶望を与えた者の末路がここです。
ここからなのです。
ゴミ箱の唐揚げを漁ってたあの頃に戻るだけです。
どん底といえば聞こえはいいですが、
唯の糞に塗れた僕が其処に居て、
ただ底にいるだけです。
ああ、糞が。って吐き捨てても、底にいるのは僕だったのです。
だから僕は今日も糞だらけの世の中で生きてられるのです。
こんにちわ、糞野郎。
みんながとんだ糞野郎共で僕は伸び伸びと生きる事ができます。
そう思って安心している自分が
何より汚らしいと思いながら眠りにつく毎日で、
なんだかわくわくするのです。
世界はキレイで汚いと彼女は言いましたが、
僕にはすべて汚れて見えます。
彼方の瞳が美しかったならすべて美しく映ったのに、
僕には其れが悲しくてなりません。
其れと同時に
彼方の瞳も等しく汚れてたのだと嬉しく思ったものです。
ここ最近目につくもん耳に入るもん全部が、Fuck!!って気分で、
ああ、糞が。って思っていましたが
結局小さな箱の中でFuck!!って叫んでもなんにもならなかった。
何も変わらなくて、それでまたFuck。って呟いて
ただなんか肩凝ったような気分になって
世界に幻滅したような気になって
ニヒル気取ってどうしようもなくなってさ。
なんか気持ちをぶちまけたくってしょうがなかったんだけど、
そんなもんで気が晴れたって
マスかいて空虚感に満ちるのと何も変わんねえし、
そんなもん結局何の解決にもなんないし、
原発は稼働を続けるし、
落ち葉は風に吹かれるし、
アクセル捻った手はかじかむし、
何も意味ねえな!って泣いてたんだよ。
そうしたら何を考えたかシャーペン握って絵描いてたんだよ。
あー。って感じ。

取り留めもなく思いを連ねて候。

僕は結局無為に日々を過ごしては、

ああ、今日も無為だったと考える毎日を過ごしています。

其れは彼方の期待によってか知らず、

はたまた僕自身の怠惰によっての事なのでしょう。

人に対して幻滅するのは

等しく自分自身に対しての幻滅とも知らずに

ひと時の絶望にも満たない切なさをもって

人生のすべて、などと勘違い甚だしい今日この頃。

僕はいつしか夢を持たぬ事をスタンスとし、

希望の容積だけ絶望の数量が決まると思い込み、

何もかも諦めて参りました。

これはなんと悲劇なんだ!と嘆く人は多いに嘆いてください。

かつて華々しく散った男の末路がこれです。

希望と夢と絶望を与えた者の末路がここです。

ここからなのです。

ゴミ箱の唐揚げを漁ってたあの頃に戻るだけです。

どん底といえば聞こえはいいですが、

唯の糞に塗れた僕が其処に居て、

ただ底にいるだけです。

ああ、糞が。って吐き捨てても、底にいるのは僕だったのです。

から僕は今日も糞だらけの世の中で生きてられるのです。

こんにちわ、糞野郎。

みんながとんだ糞野郎共で僕は伸び伸びと生きる事ができます。

そう思って安心している自分が

何より汚らしいと思いながら眠りにつく毎日で、

なんだかわくわくするのです。

世界はキレイで汚いと彼女は言いましたが、

僕にはすべて汚れて見えます。

彼方の瞳が美しかったならすべて美しく映ったのに、

僕には其れが悲しくてなりません。

其れと同時に

彼方の瞳も等しく汚れてたのだと嬉しく思ったものです。

ここ最近目につくもん耳に入るもん全部が、Fuck!!って気分で、

ああ、糞が。って思っていましたが

結局小さな箱の中でFuck!!って叫んでもなんにもならなかった。

何も変わらなくて、それでまたFuck。って呟いて

ただなんか肩凝ったような気分になって

世界に幻滅したような気になって

ニヒル気取ってどうしようもなくなってさ。

なんか気持ちをぶちまけたくってしょうがなかったんだけど、

そんなもんで気が晴れたって

マスかいて空虚感に満ちるのと何も変わんねえし、

そんなもん結局何の解決にもなんないし、

原発は稼働を続けるし、

落ち葉は風に吹かれるし、

アクセル捻った手はかじかむし、

何も意味ねえな!って泣いてたんだよ。

そうしたら何を考えたかシャーペン握って絵描いてたんだよ。

あー。って感じ。

僕には友達がいない。
なんて言うと今日日のアニメやラノベになっちゃうけどさ。
僕には友達はいない。
いくら何ヶ月徹夜寝食を共にした同期の仲間と言えど、
それは仲間であって友とは思ったことはない。
友という概念に対し、
あまりにも頑になっているのかも知れないけどさ、
僕には友と呼んでくれる人はいても、
友と呼べる人はいないよ。
当時の先輩と学生時代を終えフランクな関係なって、
友だ、と呼んでくれても、
後輩は後輩、同期は同期、先輩は先輩、
先生は先生のままあり続ける。
そして結局友達なんかじゃない。
そう考えてみると、
根底から他者をレッテル貼りしているのは、
僕自身かも知れない。
人は多様な場面でキャラクターを使い分けているけど、
学生時分より大衆の前での発言や
耳目を集めざるを得ない機会ばかりだった自分は、
ある種、自分をアイコン化させようとしてた。
そして、多種多様な人がいることを理解した上で、
出来る限り強い言葉で、
その上で多数派を傷付けないように、
自分自身をユニバーサルデザインしていた気もする。
そして、多様な意見を理解し、
どこの位置に偏ること無く統括していく過程を経て、
すっかり自己の意識を見失ってしまってたわけだ。
更に質の悪いことに、双方の意見を取り持つ気概は無く、
結局は他者の意見などはどうでも良い。
一番大切なのは、
自分自身の立ってる居場所が心地よくあること。
僕は皆の味方でなどなく、みんなの敵なんだ。
自分だけの正義なんだ。残念ながら。
必要最低限以外物はもたないのもそう言う事で、
バイクを買ったら自転車を捨てる。
シャーペン買ったら鉛筆捨てる。
服を買ったら服を捨てる。
自分のもてるものなんて、一抱えだし、
今の最低限な量でさえ吐き気がしてくる。
死に際に余計なものを残したくない。
それは、物へ依存する事の裏返しなのだろう。
どうしても依存してしまうため、
もとより無かったことにしてしまいたいのだ。
僕には友達がいないが、
そう呼んでくれる人はいるだろう。
ただ、その人達を自分からそう呼んでしまうと、
やはり別れがつらいのだ。
だから、僕には友達がいない。

僕には友達がいない。

なんて言うと今日日のアニメやラノベになっちゃうけどさ。

僕には友達はいない。

いくら何ヶ月徹夜寝食を共にした同期の仲間と言えど、

それは仲間であって友とは思ったことはない。

友という概念に対し、

あまりにも頑になっているのかも知れないけどさ、

僕には友と呼んでくれる人はいても、

友と呼べる人はいないよ。

当時の先輩と学生時代を終えフランクな関係なって、

友だ、と呼んでくれても、

後輩は後輩、同期は同期、先輩は先輩、

先生は先生のままあり続ける。

そして結局友達なんかじゃない。

そう考えてみると、

根底から他者をレッテル貼りしているのは、

僕自身かも知れない。

人は多様な場面でキャラクターを使い分けているけど、

学生時分より大衆の前での発言や

耳目を集めざるを得ない機会ばかりだった自分は、

ある種、自分をアイコン化させようとしてた。

そして、多種多様な人がいることを理解した上で、

出来る限り強い言葉で、

その上で多数派を傷付けないように、

自分自身をユニバーサルデザインしていた気もする。

そして、多様な意見を理解し、

どこの位置に偏ること無く統括していく過程を経て、

すっかり自己の意識を見失ってしまってたわけだ。

更に質の悪いことに、双方の意見を取り持つ気概は無く、

結局は他者の意見などはどうでも良い

一番大切なのは、

自分自身の立ってる居場所が心地よくあること。

僕は皆の味方でなどなく、みんなの敵なんだ。

自分だけの正義なんだ。残念ながら。

必要最低限以外物はもたないのもそう言う事で、

バイクを買ったら自転車を捨てる。

シャーペン買ったら鉛筆捨てる。

を買ったら服を捨てる。

自分のもてるものなんて、一抱えだし、

今の最低限な量でさえ吐き気がしてくる。

死に際に余計なものを残したくない。

それは、物へ依存する事の裏返しなのだろう。

どうしても依存してしまうため、

もとより無かったことにしてしまいたいのだ。

僕には友達がいないが、

そう呼んでくれる人はいるだろう。

ただ、その人達を自分からそう呼んでしまうと、

やはり別れがつらいのだ。

だから、僕には友達がいない。

隣の芝は青く見える。とは言ったものですが、
『隣の芝は腐ってしまえ』と
僕はいつも思っているんです。はじめから意味や定義を持って産まれてくるのは
『製品』であって
僕たちや作品は、
哲学に凝ってみたり、存在をひけらかしたり、
価値観を馬鹿にされながらで良くて、
生きる意味や存在価値なんて後からついてきます。
極論は大切なのは自分の利益、不利益のみ。
本音で話すとそういう部分が読み取られて嫌われるんだと思う。
でも皆そういうもんじゃないの?
だからこそ、他人行儀でも
キャッチーで話しやすい
距離をとった関係で充分ではないだろうか。
学は成り難きもの、友は得難きもの。とは良く言ったもんだ。
何度も言うけど、やりたい事しかやらなくていい。
すっかりリーマン根性ついてしまってイイ顔しがちだけど、
『やりたいだけじゃ人生やってけないよ』
なんて訳知り顔な事をいう奴にはアヌスに蹴り入れてやんよ!
そうやって何でもかんでも自己分析してたって、
反省点が見えたって、どんなに嫌悪感に満たされても、
結局はトータルで圧倒的に自分が好き。
もうひとり自分がいたら絶対ぶん殴ってる。
だから恥を忍んで生きてられる。
そんな自分がなんでもない石っころみたいな、
その辺の人間の首挿げ替えて変わりない、
なんもしょうもねぇ人間だって気付くのに、
こんなに時間かかっちまった。
だから残りの時間消化試合みたいなもんだからさ、
しょうもない人間が、
ひとつ、面白い事でもやってみたら面白いんじゃない?
場所や物ってのはいつか無くなってしまうし、
もちろん人だって死んでしまう。
だからって、其処に愛情を注がないなんて馬鹿げてるから、
みんな失いたくない人や、場所や物があるんだろうな。
まぁ、落ち込むなよ。
いくら今が悲しくとも、すぐ忘れてしまうんだよ。
当たり障りのない言葉を選んで、
ソレを人との繋がりとか、友人なんて呼ぶんなら、
そんなもん要らねーんだよ。んなもん犬にでも喰わせとけ!!!!

隣の芝は青く見える。とは言ったものですが、
『隣の芝は枯れてしまえ』と
僕はいつも思っているんです。

隣の芝は青く見える。とは言ったものですが、

『隣の芝は腐ってしまえ』と

僕はいつも思っているんです。

はじめから意味や定義を持って産まれてくるのは

『製品』であって

僕たちや作品は、

哲学に凝ってみたり、存在をひけらかしたり、

価値観を馬鹿にされながらで良くて、

生きる意味や存在価値なんて後からついてきます。

極論は大切なのは自分の利益、不利益のみ。

本音で話すとそういう部分が読み取られて嫌われるんだと思う。

でも皆そういうもんじゃないの?

だからこそ、他人行儀でも

キャッチーで話しやすい

距離をとった関係で充分ではないだろうか。

学は成り難きもの、友は得難きもの。とは良く言ったもんだ。

何度も言うけど、やりたい事しかやらなくていい。

すっかりリーマン根性ついてしまってイイ顔しがちだけど、

『やりたいだけじゃ人生やってけないよ

なんて訳知り顔な事をいう奴にはアヌスに蹴り入れてやんよ!

そうやって何でもかんでも自己分析してたって

反省点が見えたって、どんなに嫌悪感に満たされても、

結局はトータルで圧倒的に自分が好き。

もうひとり自分がいたら絶対ぶん殴ってる。

だから恥を忍んで生きてられる。

そんな自分がなんでもない石っころみたいな、

その辺の人間の首挿げ替えて変わりない、

なんもしょうもねぇ人間だって気付くのに、

こんなに時間かかっちまった。

だから残りの時間消化試合みたいなもんだからさ、

しょうもない人間が、

ひとつ、面白い事でもやってみたら面白いんじゃない?

場所や物ってのはいつか無くなってしまうし、

もちろん人だって死んでしまう。

だからって、其処に愛情を注がないなんて馬鹿げてるから、

みんな失いたくない人や、場所や物があるんだろうな。

ぁ、落ち込むなよ。

いくら今が悲しくとも、すぐ忘れてしまうんだよ。

当たり障りのない言葉を選んで、

ソレを人との繋がりとか、友人なんて呼ぶんなら、

そんなもん要らねーんだよ。んなもん犬にでも喰わせとけ!!!!


隣の芝は青く見える。とは言ったものですが、

『隣の芝は枯れてしまえ』と

僕はいつも思っているんです。